MJM 東京 TEKNA
(子供たち)
2005年クリスマス号
目立たない聖人 CONSPICUOUS SAINTS
ペテロ神父
「その一を知りて、その二を知らず」という言葉を思い出します。人が他人を見る時、その一部だけしか分からない。
クリスマスの話にはそのよい例があります。それは羊飼いのことです。キリスト様が生まれた時に、真っ先に拝みに来たのはこの羊飼いたちです。彼らは差別されていた人たちでした。生き物を取り扱っているので、仕事は年中無休、一般の人のように神殿参りしたり、さまざまな宗教行事に参加したりすることはとうてい出来ませんでした。
羊の群と一緒にいないといけない、というのは好みではなく務めでした。しかし周囲のある人たちはこれを不熱心な者だと決めつけ彼らを厳しい目で見ていた。
神様は人間が見るように人を評価なさらない。それで、キリスト様が生まれた時、誰よりも早く彼らにこのよき知らせが告げられた。本当に、キリスト様がおっしゃった通り、「後の人で先になる」ということになりますね。
今日のキーワードは「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」(キリスト様の祈り)
では、また明日お会いしましょう。
☆ ☆
イエズス会のペテロ神父は毎日新しいメッセージを「祈りの園」というホームページに寄せてくださっています。今回はその中から抜粋させていただきました。
ペテロ神父が電話やPCでメッセージを流しているのは、私の知る限り10年位前から連日です。お元気で明るい神父様ですが、以前たった一度だけメッセージの中で「原稿を書くのは“毎日“ですよ。」とこぼしたことがあったので、そのエネルギーたるや大変なもので、やはり当たり前のことではなかったのだ、とその時初めて気付いた次第です。
ところで、この「目立たない聖人」というタイトルを見た時、「はなやかさ」という言葉が対比して思い出されました。聖書の中でこの言葉のある箇所といえば思い出すのがここです。
―また悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその“はなやかさ”を見せて、イエスに言った。「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むならば、これらのものを皆あなたにあげよう。」そこで、イエスは仰せになった。「サタンよ、退け。・・・」―
ある日ペテロ神父は、一人の機関士が「私はこの四十年余りの間、できるだけ機関手らしく過ごしてきました。」と言ったのに対して「機関手らしい生活と言ってもどんなものか見当つけがたいが、彼が持っている心構えと生活態度は、きわめて美しいものではないだろうかと想像できる。(略)いかなる職業であろうと、正当なものである限り、その中に使命感をわきまえて、たとえ単調なものであっても、常日ごろその務めを果たそうとする努力は美しい。」というメッセージを書いていました。
またある日は、耐えがたい苦労、困難、病と共にありながらも、元気に前向きに90歳過ぎまで生きたある父親のことを息子が「偉いと思いませんか。父は生前何の不平も言わなかったのです。」と言ったのに対し、「(お父さんのように)人生の苦しみや悲しみにもめげず、どんな逆風にも打ち勝って、常日ごろ最善を尽くし、人生を開拓することに、その人の真の偉大さがある。」と書いています。
昨今、偽装建築など不正がはびこる社会や、簡単に子供をあやめてしまう事件を新聞で見るにつけ、このような機関士や老人のような目立たない人々の存在を思い出します。
毎日同じことを繰り返し続ける忍耐力、あるいは継続力、困難に向かっても前向きに乗り越えていく生命力の底には、飢えてもなお誘惑されなかったイエスに共通する何かがあるようです。
さて今年も残すところあと半月余りとなりました。MJMに連なる皆様が、心暖まるクリスマスと、恵み豊かな新しい年をお迎えになりますように、心よりお祈りしています。
※ ※ ※ ※ ※MJMクリスマス会のお知らせ※ ※ ※ ※ ※
下記の日程でクリスマス会を開きますので ご家族お誘いのあわせでお集まりください。
今年は土曜日の午後にいたしますのでぜひ沢山の方と一緒にクリスマスをお迎えしたいと思います。
記
日時:12月17日(土曜日)午後1時30分から礼拝ご祝会
場所:バルナバ教会のホール
東西線神楽坂駅下車徒歩3分
会費:大人1500円 子供500円
担当:陶浪まり
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テクナ担当 若生裕美