M.J.M Tokyo 2005年 8月
ルソーの祖国愛の思想について 森泉弘次
昨年9月の例会で話した「祖国愛とキリスト教」の中から、出席者の関心を最も引いたと思われるルソーの祖国愛(l'amour
de patri)の思想に焦点をしぼって考えてみたいと思います。
フランス革命の思想的原点といわれる「社会契約論」と近代教育学の古典的テクストの1つ「エミール」の著者として名高いジャン・ジャック・ルソーは、1712年フランス系スイス人の貧しい時計職人の子として生まれ、生後すぐに母に死なれ、10歳の時に父に捨てられるという逆境に育ちながら、旺盛な知識欲に燃え、幅広い読書に励んで豊かな学識と表現力を身につけました。30歳でパリにでてから、家庭教師や秘書で生活費を稼ぎつつ、学問を音楽に精進し、38歳のとき、『学問芸術論』を発表し、「学問・芸術・技術の進歩は人間を道徳的に堕落させ不幸にする。」という思想で人々を驚かせました。出発点からして、ルソーは文明の進歩を謳歌する楽天的な合理主義者、百科全善派とは異質な視点を提示していたわけです。
人間を単に理性と動物的本能との統合と見て、感情を非合理的なものとして貶める単純な人間観ではなく。人間を
理性と感情と魂からなる複合体として捉え、3要素
それぞれに人間を人間たらしめる、独自の機能を認める豊かな人間観でした。家庭生活と祖国愛(彼は盲目的な国粋主義に堕しやすい愛国心patriotismと区別して、この語を用いた)に、それぞれの健やかな生活習慣の基礎と徳の源泉を見出し、正統的なキリスト教の教えからずれてはいたが市民宗教を重んじたルソー独特の思想(『エミール』『政治経済論』参照)はこうした人間観と無関係ではありません。
家庭生活を重視するルソーが33歳のとき出会って生涯添い遂げたテレーズとの間に生まれた5人の子供の子供をすべて孤児院に送ったという事実は、たとえ赤貧が主な理由とはいえ、自己矛盾のそしりを免れません。彼が子供たちに愛薄き父だったことを晩年苦にしていたことは確かです。幼児期に母の愛を知らず、父に捨てられた不幸さも遠因かもしれません。
さて本論のルソーの祖国愛の思想ですが、若い頃から愛読した『ブルターク英雄伝』の大カトー、小カトーのような、共和制ローマへの愛から自己犠牲をいとわなかった高貴な武人政治家のイメージが、「もっとも純粋な徳も、祖国愛から切り離されたとき輝きを失う」、祖国愛こそすべての徳の源泉である、というルソー独自の思想の原像だと、わたしは確信しています。キリスト教徒にとってはイエス・キリストの神への信仰こそすべての徳の源泉であることは、言うまでもありませんが、しかしそれは、祖国愛と切り離された信仰で十分であるという意味ではないでしょう。そのような信仰は抽象的な無力な信仰で、同胞のこころを動かすことはできないでしょう。「わたしは日本の為に、日本は世界の為に、世界はキリストの為に、そしてすべては神の為」という決意を墓碑銘に刻ませた内村鑑三を思い出します。彼は真の愛国者であったがゆえに、祖国愛が国粋主義に堕落して外国侵略を正当化する傾向を憂い、日清戦争に際して公然と非戦論を唱え、国粋主義者たちから迫害されました。
現代の日本知識人の大多数、とりわけキリスト教信徒が、太平洋戦争に極限に達した日本軍国主義によるアジア侵略およびキリスト教弾圧といトラウマ的経験ゆえに、祖国愛という課題から眼をそらし、防衛問題に無関心で安易なコスモポリタニズムに傾倒している今日の状況を見る時、わたしはルソーの祖国愛の思想の意義を想起せずにはいられません。自分が生まれ育った国の歴史と精神遺産(内村はこれを第2の旧約聖書だといった)を尊び、そのうちの善きものを受け継ぎ現代に活かす努力なしに、日本伝道は不毛に終わると信じます。
【例会ご報告】
9月例会 9月30日 10:30〜 管区事務所にて
出席者 西牧,佐藤(光)、歌代、坂田 森泉先生の祖国愛について
先生は、ルソー、シモーヌヴェイユ、内村鑑三と、旧約聖書やイエス様から引用され、祖国愛(郷土愛)について考察されました。戦争が一番の悪だということが明らかです。私にとっては、32年前から度々外国に滞在した時には、やはり、日本人として恥ずかしくないような行動をしたいと思い、自然とそうなったと思います。オリンピックやサッカーなどの国際試合などでは、誰でも日本を応援する。祖国愛というのは、構えなくても自然に持っているような気がします。何故近隣のアジア諸国の人々から日本が嫌われるのか分からないという青年たちが多いのは、日本の歴史(特に近現代史)が抜けているからです。また私も、伝統文化をあまり知らないまま大人になり、外国に行って悔しい思いをしましたが、もう少し教育の方法や内容を考える必要があると思います。国粋主義や国家主義はごめんこうむるが、世界の中の日本人として、自国の歴史や文化を知って判断できる力を持ち、誇りを持てることが理想でしょうか。以上感想です。(西牧)
11月例会 11月5日7:00〜8:30pm. イグナチオ教会にて
テゼの会 森泉夫妻、阿部 テゼの会は独特なものですがイグナチオではかなり多くの方が出席され植松さんの例のゆっくりとした柔らかい口調ですすめられました。ぜひ皆様も1度参加してみてください。
10月例会報告 英語聖書研究
課題 ルカ15・22 (10月21日)若生宅
出席者 三浦・ 都築(日基教団向河原教会)・
サンデー松田・ 若生 「神、私たちの父、あなたは、あなたから離れていった人々を探し出すことを決して止めようとなさいません。そして、そのゆるしによって、あなたは、放蕩息子にお与えになった指輪を私たちの指にはめてくださいます。それは、祝いと祭りの指輪。」10月21日テゼ・コミュニティのブラザ・ロジェのメッセージよりこの言葉の出典、ルカ15章を皆で英語で輪読してみました。黙想をし、その後思いつくままにフリーディスカッションを持ちました。国境を越えて共通の課題を話し合えることは、今さらながら感謝です。(せっかくのMJMの特色を生かして、もっとひんぱんに国際交流をできたらと願っています。)
美味しい持ちよりのお菓子とお茶をいただき、ゆったりと贅沢な一日でした
12月例会 12月15日(水) 聖バルナバ教会
出席者 沢司祭、森泉先生、佐藤光子、歌代、三浦、藤田母娘、
陶浪 礼拝堂で沢先生の司式でクリスマスの聖餐式をおこない、その後ランチを囲み、近況などを報告しました。出席者は少なかったのですが、みんなで聖歌を歌いクリスマスのお祝いをしました。今回はMITUKO&MARIの初デュエットや藤田さんのお嬢さんのかわいい歌声を聴くことも出来ました。(担当:陶浪)
2005年1月例会
講師:沼田ハル子さん(友愛ヘルプ事務局理事)
1月27日(木) この講座も好評のうちに3回目となりました。新生教会の法亢先生に祈祷していただき、それに引き続いて沼田さんがお話くださいました。
私たち使用者は賢くならなくてはいけない。ケアーマネージャー、ヘルパーの選び方も利用者の立場にたって、親身になりいろいろの情報を教えてくれるか。どの世界でも同じでしょうが、一番大切なのは人柄、人間性です。スキルはついてきます。
知らないと知っているのではこんなにも違うのかというお話を詳しく具体的に例を挙げて語ってくださいました。一同4回目もよろしくとお願いいたしました。
(坂田記)
2月例会 2005年2月17日(木)10時半
管区事務所会議室にて
講師 森泉先生 テーマ 「子供とインターネット」
出席者 佐藤、西牧、森泉夫人、若生、近藤兄(目白聖公会)、歌代
大量の情報が瞬時に流通し、産業や企業がコンピューター化された現代。そんな情報化社会において、子供達もファミコン、テレビゲームを始め携帯電話、インターネットの使用とエスカレートしてゆきます。
こうして子供達の脳は次第に変化しているといい、昨年には佐世保市で、インターネットに関連した少女による同級生殺人事件まで起きています。
医学博士によれば電脳ゲームに熱中すると、人間固有の機能の宿る前頭連合野を使わないでやれるものなのでそこが不用萎縮する。意思作用、理性作用などの判断力を欠くようになると言っています。佐世保の事件は、被害少女が書き込んだひどい言葉に憤激したその友人による凶行で、これもテレビゲーム漬けネット依存症による前頭葉不用萎縮、現実と擬似現実の混同があげられます。
ひとり部屋にこもって、子供同士のメール交換やテレビゲームに熱中し、家庭内でも孤立化した環境を生んでしまう。つい最近でも大阪で、引きこもり少年による母校の教師殺傷事件が起きるなど、依然として子供達を取り巻く環境は厳しいが、まず私達大人がそうした環境作りも含め、自覚してインターネットを利用することが必要ではないでしょうか。
森泉先生のお話の中で印象的だったのは、「こころの作用が脳と深く相関しつつも自立的なシステムと機能を持っている」と言われたこと。インターネットをいかに「人間らしく」使いこなしていくような認識を、一人一人がより強めていくことが大切だと思いました。 また先生は現代社会に生きる上で、小学校上級からパソコン、インターネットの基礎技能は欠かせないが、最も大事なのはモラルの習得とおっしゃいます。そして小、中、高と一貫して国語力を高めていくべきとも。国語力という基礎の上に始めて英語力が育ち、他の外国語の学習にも大きな効果があるということを考えさせられた次第です。
今回インターネットを通じ、まだ人間形成の弱さ、表現力の未熟さのある年代では真剣に取り組まなければならない問題が孕んでいたことを改めて感じました。 先生と同年代の男性信徒も交え、お孫さんへの思いを馳せながらの学びの一時となったことに、大変感謝されましたことを付け加えさせていただきます。
(歌代道子記)
3月例会
3月例会は東京教区で行われた速水敏彦司祭の2回の大斎講座にお誘いして皆さんでと思っていました。第1回目は私のみの出席でした。第T回目は「苦難の中の真実」十字架の意味を考えさせられる講座でした。第2回目は「立ち上がる力」十字架から復活へというお話になり2回目は数人の方とご一緒するはずでしたが残念ながら講師の速水先生の体調により急遽キャンセルになりました。3月12日は、神学院で1日の予定で高橋先生のご指導で黙想会が行われました。私はそちらのほうに出席しました。
また、今年のイースターは春休み中だったので初めて東京教区の受苦日礼拝3月25日12:00〜に参加いたしました。また、3月6日は目白聖公会で行われた植松さんによる黙想会に出席しました。テゼの会のような感じで静かにお祈りすることが出来ました。大斎は教区でいろいろな会があります。ご一緒しましょう。(阿部記)
4月例会 4月3日日曜日に神田キリスト教会で、
午前中の礼拝では、関本肇先生の"ノアの洪水物語からのお説教があり、MJMのメンバーのほか、先生のご親戚家族や、知人の方なども参加されました。昼食をはさんで午後は1時から、ホールをお借りして、3時まで、MJMとしての例会になりました。出席者はNYから帰国中の景山恭子さん、福岡から丸山敏子さん芝さんご夫妻、若生さん、成松さん、西牧と娘さつき、佐藤泉さん、先生の京都時代からの知人である工藤さんご夫妻と沖縄時代からの知人の方など、奥様も入れて14名になりました。皆様の自己紹介で色々な話題が出ましたが、近頃話題の"ダ・ヴィンチ・コード"も話題になりました。恭子さんからはアメリカのイラク戦争と教会の現状、先生からは「近頃の聖書理解」というテーマでお話がありました。(聖書研究の課題は、イエス探求である。20世紀後半、21世紀の中心は、「イエス」をどう理解するかであるが、聖書についての200年以上の歴史的・批判的研究の蓄積がある)そして資料や著書等を解説を交えて紹介してくださいました。ユダヤ教イスラム教も勿論のこと、キリスト教が、イラク戦争とも関係のある原理主義的な面を改め、諸宗教の多様性を受け入れることが大切であるということでした。 (西牧担当)
5月例会 2005年5月21日 10:30〜12:00 新生教会にて
担当:佐藤光子 出席者 阿部、歌代、近藤(目白聖公会)、坂田、佐藤
間野(新生教会員)森泉(澄)、法亢牧師 講師:発題 法亢聖親新生教会牧師
テーマ:こころのケアーについて 「丈夫な人には、医者は要らない。」いるのは病人である。」
マタイ9章12節 賛美歌312番を歌い担当や佐藤の開会祈祷の後、法亢牧師により発題。5つの簡単な心理テストで始まった。
1)液体が入っているビンの絵を見て、もう後これしか残って以来と思う人とこれだけ残っていると思う人、あなたはどちらですか。
2)手を組んだ時右の親指が上に来る人、左の親指が来る、どちらですか。
3)"山"と言われてすぐ何を思いつくか。
4)好きな食べ物は? 5)靖国参拝(小泉首相)をどう思うか?
答え 1) もうこれしか残っていないと思う人は慎重な人、まだこれだけ残っていると思う人は前向きの人
2) 右が上の人は決断力、左が上の人は包容力の勝っている人
3) これは様々な答えがあった。緑、大きい、山彦、登山など。
4) これも色々。果物、うどん、おすし、フランスパン、アップルパイなど。
5) 参拝賛成、反対、条件付反対など。"馬鹿"と言う過激な感想もあった。
次に先生が用意して下さったレジュメから学ぶ。
* 癒しは、この世(地上的なこと)、救いは永遠の出来事です。この世的癒しと聖書の癒しとを混同してはいけない。原語のtherapeuo(ギリシャ語)は奉仕する、使える、世話をするという意味で医師の治療行為―セラピーになった。聖書的癒しは神の業の一つでありイエスのみ業「宣べ伝え」「教え」「癒す」を指す。神様との結びつきが出来ることが究極の癒しである。救いは普遍的であり絶対的であり永遠的なこと。癒しは有限的
で相対的なことでそこに大きな違いがある。
「ある方の証」 私の病気が治るか直らないかは、どちらでもかまわない。信仰は病気とともに生きることができる私を作ってくれました」
究極的に治療も癒しもこの世的なことでありますが、救いは永遠へと繋がっているのです。
* 人は気持ちに寄り添ってもらうとホッとします。
気持ちに寄り添うとは相手の真実の姿に触れ、相互の信頼関係の中で問題を一緒に考えたり、分かち合ったり、解決への道をたどろうとする営みのことである。カウンセリングの癒しの対象は心・肉体であるがイエスキリストの癒しは魂、精神(こころ)肉体である。
* 聞く奉仕、見る(診る)奉仕、話す奉仕。 聞く奉仕について。互いに同じヴィジョンを共有することはコミュニケーションであり聞くと言うこと。聞くよりも聴くこと。
1) 祈りの第一義:神の御心を聞く ポイント1 最後まで聞く、気持ちを聞く、警戒心を解く、
ポイント2 解釈をしない、思い込みを捨てる、決め付けない、他人の体験談を持ち出さない(自分の体験も同じ)
例 「淋しい」と言われたとき相手の気持ちを具体的に聴く。色で言うと、音で言うと、体のどの辺で感じるのか、など同じヴィジョンを持ち聞いて、触れて、味わうことができるまで聞くこと。それには時間がかかり忍耐が必要とされる。
カウンセラーはクライアントの不安を取り除くために
1) 重荷を共に負う 2) ケアー(配慮・援助)と同時にキュアー(治療)もする。自立プラス自己治癒力を高められるよう導く
3) 人間的な成長を助ける。自分で問題を解決できるよう手助けをする。病院や様々な器官とも連携してクライアントを支えるネットワークを作る。
* イエスは私たちの魂と体の医師『救い主』であるとともに完全な心のカウンセラーです。祈りは聞かれる、そこには聞くことのすべての秘訣が込められています。
少ない残り時間でカウンセリングを必要としている方のケースの相談があった。その方は10年間話し相手をしているが警戒心があり防御が硬く自分を聞かない。
* 早く何としても解決しよう、答えを見つけようと思わないこと、と先生のアドヴァイスがあった。
中高生がインターネットサイトで中傷しあうことの恐ろしさについて話し合った。相手が必要なキャッチボールでなく一方的に攻撃し傷つけるドッジボールをしている子供たちをどう導いたらよいか。親は子供が密室で何をしているのか知らないでよいのか。たくさんの問題の一部分ではあるが皆で考えることができ感謝。
主の祈りを持って閉会。
6月例会 (6/18 土曜日) バルナバ教会 ホール にて、
テーマ:MJM ミッショナ―としての7年/聖霊の息吹の中で
発題者:MJM ミッショナ― 景山恭子 出席者:藤田ご夫妻、岸、歌代、近藤、若生、塚田、元村、小林、前田、坂田、横山ご夫妻、芝ご夫妻、オカ、岩本、森泉ご夫妻、坂下、三浦 (順不同)
サバティカル中の景山姉が、日本に滞在中にMJM東京の例会を担当してくださった。MJMのミッショナ―に成られて早7年、どのミッショナ―よりも長い就任となり、今回1ヶ月の休暇をもらい、日本にこられました。
出席者の多くはミッショナ―の景山姉とともに、ニューヨークで、MJMの活動をされてこられた方々で、景山姉の活躍や、苦労を身近で観てこられた方々です。景山姉に会わせたいとご親族や、お友達を誘ってくださった方や、
景山姉のお友達や、ミッショナ―に成られる前のMJMでともに活動をされた方々と沢山の方が集まりました。
MJMの季刊し「寄留者」に記載されたミッショナ―景山姉の「ことば」を、98年から振り返り、一つ一つ朗読後に、我々が感じたことを、白紙に各々が一言ずつ書いて行くメディティション形式で進められた。7年前景山姉は、4代目のミッショナ―としてMJMのボードから選ばれた時、神様に証を見せてください。と祈られました。毎日祈りの日々だったと思われます。朗読後の短い沈黙の間に、感じたことをことばにして書き留めていくうちに、自然と心が満ちて行くのを感じました。最後に聖霊をあなたはなんて呼びますかとの質問に、それぞれ、自己紹介をまじえながら答えてもらいました。光、香り、蒼い風、澄みきった風、透明、ほっとする、お母さん、初夏の風、そよそよとした風、風太郎、エネルギー、息、緑の風、あなたとの呼びかけ、自分の内にも外にも感じる風、温かな息吹色、レインフォーレスト、と色々な答えが返ってきました。
あなたは、なんて呼びますか? 例会後に、アグネスホテルで、昼食をとり、懇親会をすることが出来ました。景山姉にはゆっくりと休養をとってもらい、今後のご活躍をお祈りしています。
例会以外の活動 11月21日新生教会において
(佐藤さんからのお誘い) お話:「科学と宗教」 山本祐靖
森泉先生ご夫妻 育ち故郷のニューヨークを訪れて・・・
2005年7月夏休みを利用して、2歳から小学校までの5年半育った、ニューヨークを訪れました。自分の住んでいた家、通っていた小学校と補習校を、そして先例を受けたTarry
TownのChrist Churchを訪れました。ほとんど記憶がないのですが、家にある写真を思い出しながら、少し残っている記憶をたどりながら、思い出に浸ることができました。ニューヨーク時代お世話になりました、David
EddyさんFr. Lloydご夫妻にもお会いすることができました。私や弟の小さかったときのことを話して下さり、私を含め阿部家は故国日本から離れた地域でさまざまな良い人々に支えられ、恵まれた環境にあったことを実感させられ、これも神様のお恵みだと思いました。
Sarah 阿部朋子
9月からの予定
2005年 9月22日10:30〜 管区事務所会議室にて
お話:三鍋先生
10月 日程調整中 (担当:梶山) 植松氏によるテゼの会
11月 (担当:三浦) 森泉先生の英語の詩篇
12月 (担当:陶浪) クリスマス
2006年 1月 (担当:坂田) 沼田さん 介護の話
2 月 (担当:歌代) 森泉先生 「マイモニデス」
3月 (担当:阿部)
4月 山本先生 イースター
5 月 (担当:佐藤) メンタルケアー Part2
新生教会にて
6月 (担当:元村) 7月 総会
TEKNA担当
クリスマス号 若生
イースター号 坂田
8月号 阿部
会計係
元村 (今回若生さんから元村さんに引き継がれました。若生さん、3年間ありがとうございました。お疲れ様でした。)
TEKNA発信 例会連絡 三浦
【お願い】 会費をお振込みください 年会費 1500円
(同封の振込用紙で、お振込みください。)
その他、MJM東京のメンバーとシェアーしたい講演会や話し合いの会がありましたらどうぞご連絡ください。
例会などの通知がほしい方は、三浦までご連絡ください。